三次社倉

歴史

頼杏坪役宅から南東に約50mのところにあります。社倉は安永から天明の初めにかけて設立されたと伝えられますが、天明6年(1786)には救麦・永代麦として約113石の麦を蓄えていました。現在の建物は創建当時のものとみられ、木組などに当時の遺構が保たれています。

地名の由来

1937年に県史跡として指定された当時は建坪127.19平方メートルの建物があり、そのうち91.09平方メートルは現在の遺構に接続して頼杏坪が三次町奉行時代に建築した部分とみられるものでしたが、火災により消失しました。その後、1986年に復原されました。

おすすめポイント

飢饉に備えて穀物をたくわえた倉の遺構。広島県史跡。

住所・アクセス

〒728-0021 広島県三次市三次町1828−2

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