公開武家屋敷「竹添邸」

歴史

竹添家は肥後の国人吉、球磨城主相良氏の一族で、寛永14年(1637年)米ノ津から麓へ屋敷が移り、代々組頭や噯(あつかい)など出水郷の要職を務めた。建物の建築は明治初期を下らないとされる。

地名の由来

江戸時代、薩摩藩は「外城制」という制度により多くの武士を鹿児島の城下町ではなく薩摩藩領内の各地に住まわせ、各地の城の麓に小さな城下町のような武家集落を形成させていました。その数は100以上に及んだとか。それらの集落を「麓(ふもと)」と呼ぶようになり、現在では知覧麓、志布志麓の庭園群が国指定名勝に、知覧麓、入来麓、そしてこの出水麓は武家集落の雰囲気を色濃く残すことから重伝建に選定されています。

おすすめポイント

大河ドラマ「篤姫」のロケ地としても使用されました。「旧竹添家住宅」として出水市指定有形文化財。現在は公開武家屋敷として、案内人が常駐している。

住所・アクセス

〒899-0204 鹿児島県出水市麓町5−17

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