呑水峠の大田絵堂戦跡記念碑

歴史

慶応元(1865)年正月14日8時頃より、萩政府軍(俗論党)の大田攻撃が開始されました。諸隊(正義党)も奇兵隊を主軸にこれを迎え、正午頃より合戦となりました。諸隊は、この地に地雷を埋め赤坂堤まで後退しましたが、地形不利のため政府軍優勢の中で大激戦となりました。そのうち遊撃軍30余名が東側の小中山に登り、陣鼓・陣貝を鳴らして銃撃し、また、奇兵隊が大木津口より政府軍の側面を攻撃したので、政府軍は大いに驚き、雨で火縄銃も役に立たず赤村へ後退しました。

地名の由来

戦いの後、高杉晋作、伊藤俊輔(博文)等遊撃隊の応援を受けて、16日赤村の敵を夜襲し、決定的な勝利をあげました。戦死者 は諸隊1名、萩政府軍10名でした。この戦いで、正義派が俗論党を敗り、逆転しかけた歴史の歯車を危機一髪で正道に戻し、倒幕・維新へ発展していきました。

おすすめポイント

大田・絵堂の戦いの呑水峠(のみずのたお)激戦の地にある大田絵堂戦跡記念碑です。

住所・アクセス

〒754-0213 山口県美祢市美東町長登 県道 32 号線

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