安土城

安土城

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歴史

安土城(あづちじょう)とは、琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)にあった日本の城のこと。琵琶湖の東岸に位置する安土城は、1576(天正4)年に織田信長によって築城されました。信長は息子信忠(のぶただ)にそれまでの居城であった岐阜城を譲っていますが、信長には岐阜城よりも京の都に近く、また京都から北陸を繋ぐ街道の要所であるこの地に城を築くことにより、天下統一を見据えていたことが分かります。安土城の築城から3年後に天主が完成し、城郭のすべてが完成したのは1581(天正9)年のことだとされています。そして1582(天正10)年、本能寺の変により信長が死去したあともしばらくは織田氏の居城として城は残されましたが、その後原因不明の火災で天主や本丸を焼失することになりました。吉田兼見よしだかねみの『兼見卿記かねみきょうき』によると、火災の原因は放火。しかし誰が火をつけたのかは定かではなく、今日まで議論の的になっている。退去するときに秀満が火をかけた説、信長の次男織田信勝おだのぶかつが明智の残党を探索する際に放った火が飛び火した説などが唱えられてきた。しかし最近の発掘調査の結果、本丸から出火した疑いが濃厚になっており、織田信雄が本丸に火を放ったとの説が有力視されるようになっている。そして1585(天正13)年に安土城は廃城されます。近代に入り、1928(昭和3)年には二の丸跡、1989年には大手門から山頂の本丸に通じる大手道の復元がされるなど、その他様々な復旧、復元に力が注がれています。また1950(昭和25)年には国の特別史跡に指定されることになりました。

地名の由来

「安土」という名前は「平安楽土」から来ており、これは天皇の平安京に対抗して、自分が天下の主であることを示す意味で名付けられた。

おすすめポイント

信長公の本廟が置かれた二の丸跡と本丸御殿のあった本丸跡とともに、天主跡は安土城跡の主要な見どころとなっています。天主跡にはかつて地上6階・地下1階の高層天主がありましたが、その際の礎石が当時の姿そのままに残されています。晴れた日の天主台からの眺めは素晴らしいです。また安土城跡では、織田信長が城内に建立した摠見寺跡や重要文化財に指定されている二王門(楼門)、三重塔などを見ることができます。お化け燈籠です。安土城築城時代のものではなく、江戸時代に置かれたものと言われています。火袋(燈籠の火を灯すところ)以外はすべて加工されていない自然石を用いています。どうしてこのお化け燈籠を見ていただきたいかというと、以前は、燈籠の左手にある細い石段道から黒金門へ、右手は主郭南面外周路を通じて本丸南虎口へ向かう分岐点になっていました。つまり、お化け燈籠を分岐点に二方向から本丸に行くことができたので、安土城を訪れた人は、お化け燈籠を目指して麓からへとへとになりながら登ったのです。

住所・アクセス

〒521-1311  滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 安土駅から徒歩で25分(ふもとまで)

安土駅から車で15分(ふもとまで)

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