歴史
明治4年、北広島がまだ原野でおおわれていた頃、島松沢にひとりの男がやってきました。
当時北海道では米づくりが不可能とされ、この米づくりにチャレンジした男こそ、中山久蔵その人だったのです。
久蔵は、「赤毛種」と呼ばれる寒さに強い稲の試作をはじめ、水温を一定に保つため昼夜を問わず管理し、まさに執念ともいえる苦労を重ね、ついに発芽に成功しました。
明治6年の秋には反当り345kgの米を収穫。北海道の米づくりの夜明けとなりました。
その後も、開拓移民に種もみを無償で配布、ここから全道に米づくりが広がっていったのです。
地名の由来
明治4年、北広島がまだ原野でおおわれていた頃、島松沢にひとりの男がやってきました。
当時北海道では米づくりが不可能とされ、この米づくりにチャレンジした男こそ、中山久蔵その人だったのです。
久蔵は、「赤毛種」と呼ばれる寒さに強い稲の試作をはじめ、水温を一定に保つため昼夜を問わず管理し、まさに執念ともいえる苦労を重ね、ついに発芽に成功しました。
明治6年の秋には反当り345kgの米を収穫。北海道の米づくりの夜明けとなりました。
その後も、開拓移民に種もみを無償で配布、ここから全道に米づくりが広がっていったのです。
住所・アクセス
〒061-1265 北海道北広島市島松1番地1