徳川家康人質交換記念碑

歴史

質問の竹千代と織田信広との人質交換が行われたのは、愛知県文化財保存振興会編『家康略年譜』によると天文18年(1549年)11月9日に尾張国笠寺(現・笠寺観音)で行われたとあります。

地名の由来

「徳川実紀」によると、天文十六年に捕らわれの身となった竹千代は、天文十八年十一月十日の人質交換まで、織田信秀(信長の父)の保護のもと、最初は熱田の加藤図書順盛のところに、ついで万松寺で暮らしていました。笠寺地域で行われる鍬形祭(五月五日の節句の祭)はこの人質交換の故事を起源とする、という説があります。

おすすめポイント

笠寺観音は名古屋市南区にある真言宗智山派の寺院で、正式には天林山笠覆寺という。現存の建物は1763年(宝暦十三年)の再建。堂内には、8年に一度しか開帳されない秘仏の本尊十一面観音立像や玉照姫(笠をかけていた娘)・藤原兼平像、不動明王像、弘法大師像などを安置する。

住所・アクセス

〒457-0051 愛知県名古屋市南区笠寺町上新町

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