歴史
石碑が建てられたのは、2001(平成13)年7月20日の海の日である。この唱歌の作詞者である宮原晃一郎が鹿児島県出身であり、少年時代、付近の天保山公園から錦江湾を眺めた際の情景をうたった歌詞であることから、この石碑が建てられた。
地名の由来
唱歌としては今から100年近く前に発表された曲の石碑が、ごく最近になって建てられたのには訳がある。実は「我は海の子」の作詞・作曲者は、長年にわたって不詳とされてきたのだ。ところが近年になり、宮原の長女である典子氏が、文部省募集の新体詩の入選通知と著作権譲渡要請の手紙を保管していたことが明らかとなり、半世紀以上にわたって不詳であった作詞者が明らかになったのである。
おすすめポイント
戦前までは7番まで歌詞があったが、4番以降の歌詞の一部に、発表当時の世相を反映した植民地主義・軍国主義的な内容を含んでいたため、敗戦後に7番の歌詞が削られた。1947年からは「我は海の子」として3番までが小学校で教えられるようになった。2007(平成19)年に、「日本の歌百選」の1つに選ばれている。
住所・アクセス
〒892-0803 鹿児島県鹿児島市祇園之洲町1