日本海海戦記念碑

歴史

1905年(明治38年)5月27~28日。日露戦争末期の日本海海戦にて、日本の連合艦隊はロシアのバルチック艦隊を殲滅しました。この対馬沖で繰り広げられた日本海海戦を記念して地区住人により建立された記念碑です。

地名の由来

この海戦の際、撃沈されたロシアバルチック艦隊のウラジミル・モノマフ号の水兵143名は、4隻のボートに分乗し、この地に上陸しました。戦況を見守る傍ら農作業をしていた農婦は、命からがら逃げ延びてきたこの水兵達を水の湧き出す泉へ案内し、夜は西泊の民家へ分宿させるなど、手厚く持てなしたといいます。

おすすめポイント

題字の恩海義喬(めぐみのうみ、ぎはたかし)は、この話を聞き、心を動かされた東郷平八郎連合艦隊司令長官の書によるものです。また記念碑の題字も東郷平八郎連合艦隊指令長官の親筆で、「恩海義僑」と書かれています。「戦争で死の海となった対馬の海が恩愛の海となった。対馬の人たちの義は気高いものだ」という意味を表しています。

住所・アクセス

〒811-3307 福岡県福津市渡1238

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