歴史
明暦2年(1656年)に着工し、工事の中断と再開を経て寛文7年(1667年)完成と伝えられていた。しかし、平成3年9月に襲来した台風で大きな被害を受け、建立から約330年にして初めての全面解体修理が実施され、その過程で初重の内法うちのり貫ぬきから寛文4年(1664年)8月の刻名が発見された。塔の組立はこのころから開始されたものと推定される。
地名の由来
寺伝によれば藩祖為信の津軽統一の過程で戦死した敵味方の供養のために建立したといわれている。明治期の指定説明で「東北地方第一ノ美塔ナリ」とされ、総高は31.2メートル。屋根は宝形造、軒は二軒ふたのき繁しげ垂木だるきで、組物は各重とも和様三手先みてさきである。柱間は、各面中央間を扉とするほかは板壁で、初重は正面のみ連子窓で三面に円形、二・三重に格こう狭間ざま形、四・五重に矩形の盲めくら連子れんじ型をつくり変化をみせている。また心柱しんばしらは角柱で、二重目で止まっている。
住所・アクセス
〒036-8196 青森県弘前市大字銅屋町63