淳和院跡 石碑

歴史

平安前期、淳和天皇の後院(ごいん)淳和院があったところである。後院とは、天皇即位後の御所をいう。広さは東西約230メートル、南北約250メートル、池に面した華麗な御所で、高山寺はほぼ東南隅にあたる。天長10年(833)、仁明天皇に譲位された淳和天皇は、皇太后正子内親王とここに住まれ、後嵯峨上皇らも行幸になり文人を交えた遊宴がたびたびひらかれた。

地名の由来

建築された年代は不明であるが、淳和天皇の皇太弟時代の813年(弘仁4年)に実兄の嵯峨天皇が当時南池院と呼ばれていたここに行幸した。淳和天皇の即位後は離宮となり、833年3月22日(天長10年2月28日)にここで甥の正良親王(仁明天皇)への譲位を宣言した。これに先立って名を「淳和院」と改めた。淳和上皇は退位後にはここに皇太后となった正子内親王(淳和太后・嵯峨天皇の皇女)と暮らしていたが、7年後に崩御した。

おすすめポイント

淳和院は,淳和天皇(786~840)譲位後の離宮で,即位前からの御所南池院を改称したものである。四町四方規模の景勝地として知られ,詩会が度々行われた。この石標は淳和院跡を示すものである。

住所・アクセス

〒615-0012 京都府京都市右京区西院高山寺町

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