牛嶽車道開通記念碑

歴史

明治23年(1890)9月13日、「牛嶽車道」全線の開通を祝い、牛嶽運送株式会社が建立しました。山深く道が狭いため、採掘後の輸送には、人の背に頼るほかありませんでした。ところが明治期、稲作の肥料として石灰の需要が増大し、荷車による搬送可能な道路が必要となり「牛嶽車道」が実現したのです。

地名の由来

牛嶽車道は、牛嶽麓の利賀谷高沼から金屋まで、石灰を輸送するため、地元有志が私設した新道で、15年間、賃取り償却が許可される賃取り道でした。牛嶽南側一帯の山地、高沼から旧婦負郡山田村深道近辺は、通称石灰山と言われ、藩政期末から比較的大規模な石灰岩の鉱床として知られていました。

おすすめポイント

碑面(高さ約2.5m、幅約1.7m)には、「山を塹(ほ)り谷を堙(ふさ)ぐ牛嶽か、平五箇(ごか)に多く産す 来たり貿(あきな)いて便を得、中越の富 源泉竭(つき)ず」と刻まれています。

住所・アクセス

〒932-0305 富山県砺波市庄川町金屋

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