白米千枚田

歴史

白米の集落が記録上確認できるのは、17世紀以降のこと。貞享元年(1684)に発生した大規模な地すべりで、水田の大半が失われ、その後荒れ地のままで放置されていたが、明治期になって徐々に再開拓され、現在の形状に近づいていった、と伝えられている。平地が極めて少ない自然環境に立ち向かって生きてきた、奥能登の水田開発の歴史的遺産といえる。

地名の由来

奥能登の最高峰高州山の山裾が海岸にせまる、輪島市東部の白米町に位置する。付近一帯は、地すべり地特有の小凹凸地形を成し、高低差約50mの急斜地に小区画の水田が耕作されている。「田植えしたのが九百九十九枚、あとの一枚蓑の下」等の古謡が地元に残り、人々に唄い親しまれている。

おすすめポイント

塗り上げられた畦の描く幾何学的文様と水の張られた田圃の照り映える景観は美しく、澄みきった夜の田毎の月の光景は人々を魅了し、多くの文芸作品や芸術作品の題材ともなっている。

住所・アクセス

〒928-0256 石川県輪島市白米町99−5

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