米百俵の碑

歴史

昭和50年(1975年)に長岡市は小林虎三郎没後100年を機に、小林虎三郎の生んだ米百俵の精神を想い起こし、教育尊重の市民性をさらに高めて、文化の香り高いまちにしようと、国漢学校跡地に建設された。

地名の由来

もとは戊辰戦争の敗戦後、長岡藩の文武総督に任命された小林虎三郎が、昌福寺の本堂を間借りして開いた「国漢学校」を明治3年(1870年)6月15日、当地に移転。 その新学舎があった場所。

おすすめポイント

「この米を1日か2日で食いつぶして何が残る。その日暮らしでは、長岡は立ち直れないぞ。国が興こるのも、まちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ。明日の長岡を考えろ」・・・・・・こうして明治3年国漢学校が設立された。

住所・アクセス

〒940-0062 新潟県長岡市大手通2丁目3−1

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