歴史
西應寺とは、慶長十二年(1607年)麹町貝塚に創立し、寛永十二年(1635年)現在地に移転。江戸の和算学者・藤田雄山父子、幕末の剣客・榊原健吉、長崎の画工・広渡巌斐、舞踊家の花柳寿美らのお墓もある由緒あるお寺。「西応寺」(さいおうじ)は奈良時代、聖武天皇の勅願により奈良・興福寺の別院としてこの地に建立された大寺院『南都興福寺別院 円満山 少菩提寺』の「禅祥坊」を前身とする寺院。境内には近江・五箇荘の“鈍穴流”花文造園により昭和後期に作庭された回遊式枯山水庭園があります。戦国時代に織田信長がこの地に攻め込むまでこの一帯には少菩提寺を中心として7つの神社と37のお寺が立ち並んでいたそう。少菩提寺の開山は奈良・東大寺を開いた良弁僧正。1571年に織田信長によってその殆ど焼失(いやきっとそれ以前の衰退とかもあるんだろうけど)。西応寺の近隣に残る「廃少菩提寺石多宝塔および石仏」は国指定重要文化財で、現在西応寺が所蔵し戦火を免れた室町時代の1492年に描かれた「紙本著色廃少菩提寺古絵図」は湖南市指定文化財になっています。
地名の由来
由来については不明。ですが西應という名字は香川県や兵庫県で多く見られる。
おすすめポイント
ゴールデンウィーク頃は、雲南萩が見事で、山野草の展示もあり、巨石が大胆に配置された枯山水の庭園も美しくしとやかな野花が可憐に迎えてくれます。4月20日~5月10日は、菩提寺古絵図(原版)が特別公開され、志納金で拝観できます。また自然を背景にした枯山水の庭で、春には茶会が開かれます。独特なのは、築山の飛石、枯滝石組や渓流にかけられた上下違いの石橋、曲池西側の石橋という3石を寄せた踏分石などです。形式がそれぞれ異なり、大小高低色々ある石擬宝珠柱や石灯籠などが置かれています。
住所・アクセス
〒520-3242 滋賀県湖南市菩提寺1677
甲西駅から車で10分