金閣寺

金閣寺

出典:kyotomap.info

歴史

金閣寺とは相国寺の塔頭寺院の一つ。応永元年(1394)室町幕府4代将軍となった義持は当時9歳であり、実権は父の義満が握り続けます。その結果、政治や文化の中心は「花の御所」と呼ばれた足利将軍の邸宅から義満の居所となる北山殿に移りました。 1397年足利義満が、西園寺家山荘後に北山殿を建てました。1398年に舎利殿完成。1467年の応仁の乱によって起きた火災により鹿苑寺は消失してしまいます。その後も当時修行僧であった林承賢という人物が金閣寺に放火。この火災で、庭を含めた46坪を燃やし尽くされました。応永元年(1394)室町幕府4代将軍となった義持は当時9歳であり、実権は父の義満が握り続けます。その結果、政治や文化の中心は「花の御所」と呼ばれた足利将軍の邸宅から義満の居所となる北山殿に移りました。応永15年(1408)51歳で義満が没し、応永26年(1419)妻の日野康子(※)が亡くなると、義持は北山殿を解体、縮小して禅寺に改めます。寺号は、義満の戒名「鹿苑院殿准三宮大相國天山道義大禅定門」に因み「鹿苑寺」としました。更に昭和25年(1950年)7月2日未明、放火により国宝の舎利殿(金閣)と安置されていた仏像等を焼失(金閣寺放火事件)。文部省文化財保護委員会と京都府教育委員会で協議が行われ、国宝指定の解除と金閣再建の援助が決定されました。再建費用として、政府や京都府からの補助金、経済界や全国各地からの寄付金など約3000万円(当時)が集められ、昭和27年(1952年)着工、昭和30年(1955年)竣工。同年10月10日に落慶法要が営まれ、創建当時の姿に復元されました。

地名の由来

足利義満の法名にちなんで名付けられました

おすすめポイント

金閣寺の2層と3層には漆地に純金の箔が貼られ、金色に光り輝く美しさを誇り、金閣寺の最大のシンボルです。屋根は椹(さわら)のこけら葺、さらに屋根の頂上部分に金銅製の鳳凰があります。鏡湖池(きょうこち)は、舎利殿のすぐ前に広がる庭園です。境内の半分以上を占め、池の中には葦原島、鶴島、亀島など大小の島が存在。西にある衣笠山を借景とし、池泉回遊式庭園と呼ばれる様式の庭園です。国指定の特別史跡で、特別名勝にも指定されています。

住所・アクセス

京都府京都市北区金閣寺町1 

京都市バス『金閣寺道』下車 

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