長崎原子爆弾落下中心地碑

歴史

長崎に投下された原子爆弾は、1945年8月9日、午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500mで爆発しました。原子爆弾が爆発した瞬間の爆発点の温度は摂氏数百万度に達し、爆発からの1万分の1秒後には約30万度の火球を形成したと推定されています。

地名の由来

標柱は爆心地を示す2代目の標識です。標識は幾度か建て替えられ、現在の形の原爆落下中心地碑は、1968(昭和43)年に建て変えられました。高さ6.6mの三角柱でできています。

おすすめポイント

現在、原爆死没者名簿は、平成15年7月に開館した国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に保存されています。原爆殉難者名奉安箱には、原爆死没者名簿のマイクロフィルム化したものが永久保存されています。

住所・アクセス

〒852-8118 長崎県長崎市松山町6

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