露軍将校遺体漂着記念碑

歴史

明治38年、日露戦争終結後、地元田後の村民が敵にもかかわらずロシア将校3名の遺体を椿谷に埋葬しました。その後、田後村民の「人類愛」の精神を顕彰しようと、初代国連大使で岩美町出身の澤田廉三氏によって碑が建立されました。

地名の由来

澤田廉三は旧制鳥取中学校から旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学仏法科卒業。外交官試験に首席合格し外務省入省。外務省きってのフランス語・英語の堪能者で、戦前は宮内省御用掛を兼務し、昭和天皇通訳を務め戦後も元首等との通訳にあたった。

おすすめポイント

関連文書は、親族や外務省外交史料館の他に、郷里の鳥取県立公文書館に委託所蔵された。2010年3月には資料集『澤田廉三と美喜の時代』が発行された。

住所・アクセス

〒681-0074 鳥取県岩美郡岩美町大字網代

関連記事

  1. 宮崎特攻基地慰霊碑

  2. 広島赤十字病院慰霊碑

  3. 電信電話発祥記念碑

  4. 元越番所跡の記念碑

  5. 名勝「鳴門」碑

  6. 薩英戦争記念碑